新渡戸稲造における地方(ぢかた)学の構想と展開 : 農政学から郷土研究へ

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タイトル別名
  • Inazou Nitobe and the Design of Ruriology : Agricultural Administration and Native District Study
  • ニトベ イナゾウ ニ オケル ジカタガク ノ コウソウ ト テンカイ ノウセイガク カラ キョウド ケンキュウ エ

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説明

新渡戸稲造(1862-1933、以下は新渡戸)は地方(ぢかた)学(Ruriology)を唱えた。地方学は地方ではなく、地域を対象とする学問である。新渡戸は豊かな国際経験を生かすとともに、郷土としての日本に関心をもち、各地域の様々な事象を対象とする地方学を提唱した。新渡戸については、これまでその国際性やキリスト教との関係を論ずる研究が数多く出されている。しかしそれらに比べて地方学について論じられた研究は数少ない。本稿では、新渡戸の地方学が構想される過程を追い、さらに地方学の提唱によって、新たに形成された学問分野の展開を追った。  新渡戸は著名な著書『武士道』を執筆しているが、ほぼ同時期に『農業本論』という著書を執筆している。新渡戸は札幌農学校の出身であり、農業や農政学には関心をもっていたが、『農業本論』は新渡戸によれば農政学の前提のつもりで執筆したものであった。しかし『農業本論』はわが国の農政学に対して、それほど影響を与えなかったものの、農業に関連する幅広い分野を扱っている。新渡戸はこの幅広い分野を地方(ぢかた)という枠組みでとらえようとした。『農業本論』は農政学の前提というよりも、地方学構想のきっかけであったといえる。  新渡戸は著書の執筆だけでなく、実際に地方学に関連する地域振興に携わっている。それは台湾の糖業政策であった。新渡戸は台湾での経験を生かして、日本の大学では初めての植民政策の講義を行なっている。この講義では土地利用の重要性が説かれるが、これは「土地と人間生活との関係」を解明するという目的をもつ郷土研究へと結びついていく。  新渡戸が提唱した地方学は、地方の歴史、文化、風俗習慣を研究し、都市にはない農村の良さを発見することによって、地方の活力を高める必要性を説いたものであった。地方学は農村の救済という目的のもとで成り立つものであったが、農村という限られた地域だけでなく、国全体のあり方、広くは人類史の展開にも関わるものであった。  柳田国男(1875-1962、以下は柳田)は、この新渡戸の地方学の提唱に影響を受け、新渡戸を主催者とする郷土会を発足させている。この場合の郷土は、新渡戸のいう地方(ぢかた)とほぼ同一であった。新渡戸の地方学は、結局、体系立てられた学問とはならなかったが、郷土会を通して、多くの科学が誕生するきっかけとなる。たとえば柳田の民俗学であり、小田内通敏(1875-1954、以下は小田内)の人文地理学であった。しかし柳田の民俗学は、自ら農村生活誌の研究であると語っているので、経済的な考察に弱いとみられてしまう欠点をもち、小田内の人文地理学は数多くの調査に基づいているものの、共通性・普遍性・法則性という科学としての要件に欠けていた。

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