京都帝国大学と報徳主義 : 岡田総長退職事件をめぐって

書誌事項

タイトル別名
  • Kyoto Imperial University and Houtokuism : Through the Retirement of Ryouhei Okada, the President of University
  • キョウト テイコク ダイガク ト ホウトク シュギ オカダ ソウチョウ タイショク ジケン オ メグッテ

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説明

京都帝国大学は,わが国で二番目の帝国大学として創設される。その創設以来,沢柳事件・河上事件・瀧川事件というように,大学の自治をめぐる事件が数多く起こっている。しかしながら,総長人事や教授人事に関する問題は,これらの事件が発生する以前に,すでに起こっている。その先駆的な事例が岡田総長退職事件である。第二代総長となる岡田良平は,その在任期間が約10カ月と短く,しかも総長退職をめぐって教授側と文部省との対立をみている。  岡田良平は幼い頃から報徳主義の影響を受け,文部官僚となった後も,この思想をモデルとすることがしばしばみられる。岡田良平は文部官僚だけでなく,第一高等学校教授,山口高等中学校校長などの教職も歴任する。報徳主義の影響と教職の経験によって,岡田は自らの教育理念をつくっていくが,それを創設後約10年を経過していた京都帝国大学において実践する。岡田良平の就任時の京都帝国大学は,創設期における独創性を失い,その研究教育体制の構築において苦悩していた時期である。したがって,文部省から送り込まれた官僚である岡田良平の実践は,教授側の猛反発を招く。  岡田良平の総長退職は,岡田良平の文部次官と総長の兼任をきっかけに,急速に展開する。結果的に山県有朋の判断で,岡田良平は総長を退職して文部次官専任となるが,それはもちろん京都帝国大学が新たな研究教育体制を構築したからではない。岡田良平が突きつけたのは,大学のあり方に関する問題であるが,京都帝国大学はそれに答えることなく,大学自治の問題が,主要な課題となっていく。つまり大学の問題は,研究教育体制の確立ではなく,自治の問題へと転化している。一方,岡田良平は総長退職後に文部大臣となり,現在の高等研究教育制度の基礎となる大学令の公布に大きな役割を果たす。この大学令には,岡田良平の報徳主義や京都帝国大学での経験による成果がみられる。

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