A Model Case of a Bilingual Education Program in the U.S. Public Education System ―The Japanese Bilingual Bicultural Education Program, San Francisco in 1970’s―

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1970 年代初頭、サンフランシスコの日系三世が提唱した「日英バイリンガル教育」は、公立小学校内でのプログラム設立を要請したことによって、歴史的な意味をもつことになった。三世自身が英語を母国語とする、日本語を話せない世代であり、その子どもである四世のために「公費を使って日本語を教える。」という発想に対して、一般市民の反応は非常に否定的であった。なぜ、三世の親たちは、すでに存在する私立の日本語学校ではなく、公教育の中での日英バイリンガル教育を強く要求したのだろうか。サンフランシスコ公立学校区の中で、今、現在まで40 年以上もの間、レベルの高い教育を提供し続けている日英バイリンガル教育プログラム創設について、日系アメリカ人の歴史と、実際に創立に尽力した三世への聞き取り調査をもとにして解明しようとした試みが、この研究ノートである。筆者自身も、70 年代後半に助教師としてこのプログラムで働き、また筆者のアメリカ生まれの二人の子どもたちも、生徒として学んだプログラムの歴史的意味を、一つの形として残しておきたいという強い思いからこの論文が完成したことを追記しておきたい。

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