明治期慈善事業の近代化をめぐる相克-小野慈善院の財団法人化をめぐって-

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タイトル別名
  • メイジキ ジゼン ジギョウ ノ キンダイカ オ メグル ソウコク : オノ ジゼンイン ノ ザイダン ホウジンカ オ メグッテ

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抄録

type:論文

慈善事業は必ずしも善ではない。自己利益のために慈善事業を営む者もあり,劣悪な条件で暮らす被救助者も少なくなかった。慈善事業家で最初に藍綬褒章を受章した小野太三郎の事業は明治20年代後半から資金不足が顕著になり,30年代には最大の共労者であった妻の死亡と自身の高齢化で秩序,衛生状態ともに劣悪化し,社会の害物とさえ言われるようになる。見かねた警察は取締規則を制定して,条件を充たさない事業の存続を認めなくなった。金沢市,石川県は小野慈善院の新築移転と太三郎の引退による近代的な慈善事業への脱皮を図るが,太三郎との相克が生まれる。個人事業から財団法人化して金沢市の監督と統制の下での慈善事業が展開される過程を跡づけた。

収録刊行物

  • 天理大学学報

    天理大学学報 64 (2), 181-210, 2013-04-15

    天理大学学術研究委員会

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