東京帝国大学柳島セツルメント医療部の活動の展開-関東大震災の体験に注目して-

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  • トウキョウ テイコク ダイガク リュウトウ セツルメント イリョウブ ノ カツドウ ノ テンカイ : カントウ ダイシンサイ ノ タイケン ニ チュウモク シテ

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抄録

第一次世界大戦後に医療は「社会問題化」したと指摘されている.この風潮のなか「医療の社会化」を求める動きが活発化し,医師や医学生もその一端を担った.本稿では東京帝国大学医学部関係者が関東大震災後に地域での医療活動を開始した経緯とその内実について検討した.  分析の結果,次のような考察が得られた.1920 年代には結核等の疾病の広がりに加えて,関東大震災を契機として外傷を被った人びとが数多く発生し,伝染病の発生がさらに被害を拡大させた.しかし状況を改善する手立てとしての医療が公平に提供されたとは言い難く,人々の間に生存率や生命/生活/人生の質の格差が存在することが剥き出しになって現出した.東京帝国大学医学部関係者は,衛生状態の改善に取り組むことで,視野が大学構内から「社会」へと広がり「社会問題」への開眼を経て地域での活動へと繋がっていった.  さらに活動のなかで医療利用組合に相似した「健康会」という形式を採用していたことに注目したい.1930 年代に農村部で医療の利用に関する運動が拡大したことは明らかになっているが都市部での展開については不明な点が多い.今回検討した「健康会」は消費組合を基盤にしながら生活困窮者の健康を支えていたことを指摘したい.

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