遊びの後に見たものは : ≪春と修羅 第二集≫岩手山麓晩秋紀行詩群考

書誌事項

タイトル別名
  • アソビ ノ ノチ ニ ミタ モノ ワ ハル ト シュラ ダイ 2シュウ イワテ
  • A Study of Group Poems on the Picnic at Foot of Mt. Iwate in Late Autumn in HARU To SHURA II
  • アソビ ノ アトニ ミタモノ ハ ハル ト シュラ ダイニシュウ イワテ サンロク バンシュウ キコウシグン コウ

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抄録

はじめに  《春と修羅第二集》における晩秋の岩手山麓を舞台とした作品、二九番[野馬がかってにこさえたみちと一(一九二四、一○、二六こと三三○番[うとうとするとひやりとくる](同前)は、逐次稿の変化が大きいことで注目されてきu∵これらは作品番号と日付は同じでも、[野馬がかってに…]の場合は二作品の、一うとうとすると…]の場合は四作品の連続的展開かと見られるほどで、通常の推敵過程を逸脱したところがある。賢治詩の逐次稿ではこうした展開を見ることが珍しくないが、その理由は何か。すべてを改稿時の発想の転換としたのでは、全作品がこのように改稿されるわけでもないから、問題の本質を見逃すことになると思われる。本稿では、こうした改稿の必然件について考えてみたい。  その時、作品を日付順に配列した『校本宮澤賢治全集』の『第二集』で見る一九二四年秋の作品には番号の錯綜が多く、逐次稿の分岐的展開と番号錯綜問題とが相互に関連している。したがって、考察はおのずから《第二集》の構成法とその変容の問題へと展開することになろう。

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