認知症と支援技術の応用 : 脳性まひの娘に導かれて電動車いす自立に結びついたある認知症高齢者の事例から (特集 認知症)

書誌事項

タイトル別名
  • Dementia and Assistive Device Coaching : Life strategy for an old mother to be led by her daughter with cerebral palsy
  • 認知症と支援技術の応用 : 脳性まひの娘に導かれて電動車いす自立に結びついたある認知症高齢者の事例から
  • ニンチショウ ト シエン ギジュツ ノ オウヨウ : ノウセイマヒ ノ ムスメ ニ ミチビカレテ デンドウクルマイスジリツ ニ ムスビツイタ アル ニンチショウ コウレイシャ ノ ジレイ カラ

この論文をさがす

説明

昭和20年代脳性まひを確定診断できる医療機関は国内で数箇所だった。 当時、 脳性まひの告知は「死の宣告」に勝る衝撃だった。 母親は告知を受けた帰途、 走る汽車の車両から脳性まひ児を抱いて身を投げるところだった。 その後半世紀以上たった今、 我が子を抱いて身投げをしかけた母親がうつ病・交通事故頭部外傷・悪性新生物・認知症などで要介護状態になった。 重度障害者の自立生活を可能にしている物的・人的支援技術とそれを使いこなす当事者側のスキルは、 どのような身体状況であったとしても「あたりまえ」の生活を可能にする。 「本来あってはならない」はずだった者が、 脳性まひ者として半世紀以上、 地域社会の真只中で近所の人たちと正面切って向かい合い、 いつも目立ちながら、 3人の子供を産み、 育て、 生き抜いてきた。 そうして蓄積してきた知恵と経験と技術は、 母親にとって非常に頼りがいがあったにちがいない。 母親は自分から父親のもとを出て同居した。 それまで母親を介護していた父親がある日パーキンソン病と診断され、 途方にくれて介護が大変だからとショートステイを何度か使うようになった。 そのとき感じた将来への不安が母親の決断の動機だった。 要介護高齢者は殆どが障害者として素人である。 いやむしろ、 永年「五体満足」が当たり前の暮らしをしてきて、 ある時を境に「不満足」になれば当惑し、 混乱し、 冷静ではいられなくなる。 そんな時、 強力な刺激となるのは脳性まひ者のようなベテラン障害者の後姿ではないのか? 脳性まひ者は生き抜き、 人・社会を支える!

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ