小河の会戦と安順侯脱火赤―「成祖四駿図」によせて―

書誌事項

タイトル別名
  • Battle of Xiaohe and Aanshun Marquis Tohkochi

説明

モンゴル人の脱火赤(薛貴)は、燕山右護衛の舎人の身分で燕王軍に加わり、幸いに材武に恵まれて軍歴を重ねていき、晩年には侯爵に列せられた。ただ、薛貴が安順侯という栄爵を保持しえたのは、わずか五年という短い間のことであった。宣徳五年(一四三〇)三月に発病して没したのである。死後、浜国公に追封され、忠壮と諡された。本稿においては、靖難の役の最中に燕王が騎乗した御馬四匹の駿馬を描いた「成祖四駿図」によせて、小河の会戦時、燕王騎乗の棗騮の部位のあちこちに突き刺さった箭を、自己騎乗の馬から下りてすばやく棗騮から抜き、その人馬一体の驚倒を防ぎ、兵馬倥傯と化した戦場での燕王の危機を救った薛貴のその後の軍歴を考察して、安順侯の勲爵を得るまでの過程を辿った。

収録刊行物

  • 人文研紀要

    人文研紀要 97 89-123, 2020-09-30

    中央大学人文科学研究所

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