熙豊年間の対西夏政策 : 北栄・西夏の横山領有を廻って

書誌事項

タイトル別名
  • キホウ ネンカン ノ タイ セイカ セイサク ホクソウ セイカ カン ノ オウザン リョウユウ オ メグッテ
  • The Policy toward Western Xia(西夏) in the Xi Feng(熙豊)Period : Concern about Territorial Dispute between Northern Song and Western Xia

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抄録

本論では、北宋による熙豊年間の対西夏政策を、北宋と西夏の境界である横山を廻って起こった戦役や堡寨の建設、禁軍の再編などとの関連から再考する。そこでまず、宋の熙寧五年までの対西夏政策を確認し、神宗政府の政策が原路から麟府路に至る横山に沿って城寨を築くこと、特に鹿延路と麟府路の連絡を通じることに傾注したことを指摘する。次いで永楽城の建設を廻る政策が、霊州を直ちに奪取する方針から、より宋側の横山一帯に城寨を建築する計画へと変更されたことを明らかにする。永楽の戦いに敗れたあとも、北宋はすみやかに鹿延路における防衛体制を再構築し、麟府路でも横山領有の政策を続けた。しかし辺境防衛と開拓のための城寨建設には、多大な財政支出と人民の負担が伴い、元祐年間における政策変更の要因の一つとなる。

北宋

西夏

熙豊年間

横山

城堡寨

identifier:RO000100004704

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