〈研究ノート〉十九世紀フランスにおける「人類学」と黒人表象 -エドゥアール・マネ《オランピア》を一例に-
書誌事項
- タイトル別名
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説明
type:text
千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第279集 『歴史=表象の現在』上村 清雄 編
"The Presence of History as Representation", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.279
本論は、十九世紀フランスにおいて発展した「人類学」を切り口に、エドゥアール・マネ(一八三二-一八八三年)が一八六三年に制作し、一八六五年のサロン発表時にスキャンダルを引き起こした《オランピア》【図一】における黒人女性の表象について考察を行う。画面中央の裸体の白人女性の表象には、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(一四八八-一五七六年)が一五三八年に制作した《ウルビーノのヴィーナス》という「伝統」的作品から構図を引用しつつ、白人女性を神話の女神やハレムのオダリスクという現実の西欧社会からかい離した存在でなく、「同時代(=十九世紀)」の娼婦として表現するという「モデルニテ(=近代性)」の導入がなされていることが解明されている。更に、ジャポニズムの影響やサロンにおける展示戦略等の観点から考察がなされているが、黒人女性の表象は、画面を構成する主要登場人物であるにも関わらず等閑視され、積極的な考察はなされていない。当時のマスメディアによるサロン評においても、「この黄色い肌のオダリスク、どことも知れないところで拾ってきたこの醜いモデルはなんだ。オランピア?オランピアとは何だ?疑いなく高級娼婦だ。」(ジュール・クラルティ)、「この赤茶色の髪の女は申し分なく醜悪だ。顔つきは愚かしく、皮膚は死体のようだ。…白、黒、赤、緑色が画布の上に、おぞましい喧騒を繰り広げている。」(フェリックス・ドゥリエージュ)のように話題の中心となったのは白人女性であり、黒人女性に対する言及は管見では発見できていない。専攻研究において、《オランピア》における黒人女性の表象は、当時流行して…
p. 85-86の図版はリポジトリ未収録
source:歴史=表象の現在(2013年度)
収録刊行物
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- 千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書
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千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 279 76-84, 2014-02-28
千葉大学大学院人文社会科学研究科
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050570022168911360
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- NII論文ID
- 120007054478
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- ISSN
- 18817165
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- CiNii Articles