江戸の腑分と小塚原の仕置場

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  • エド ノ フブン ト コズカハラ ノ シオキジョウ
  • Autopsy in Edo period and execution place in Kozukahara

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旧幕時代,江戸小塚原の仕置場では磔刑・火刑および梟首が行われ,罪囚のみならず江戸市中で弊れた牛馬も埋葬されたが,処刑された罪囚の遺体を用いて度々人体解剖も行われた。小塚原の仕置場で解剖が行われた理由として,小伝馬町の牢屋敷で処刑された罪囚の埋葬地であったことから,遺体の管理をする上で好都合であったためと考えられる。明和8年に杉田玄白らが関った解剖は医学史上特筆されている。その理由として,実見した人体の内部構造と比較して,ドイツの解剖学書をオランダ語に訳した“Taffel Anatomia"の記述が正確であることを確認し,同志と共にその解剖学書の日本語訳を行い,これを出版したこと。さらにこの事業が後の蘭学研究の隆盛をもたらしたことが挙げられる。『蘭学事始』の記述から,岡田養仙・藤本立泉ら,幕府の医師が早くから解剖に立ち合ってきたことは明かである。また幕末には,幕府種痘所の医師たちが解剖を行った記録も残されている。しかし幕府の医師たちによる解剖の観察記録は見出されていない。幕府の非公開主義によるものであろうか。従って『臓志』を著した山脇東洋以前に,解剖を行った医師がいないとは断定できない。

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