感性的表現と「順序・秩序」としての「ordre」: コンディヤック『人間認識起源論』の「美的・感性的なもの」を巡る一視座(2)

書誌事項

タイトル別名
  • カンセイテキ ヒョウゲン ト 「 ジュンジョ ・ チツジョ 」 ト シテ ノ 「 ordre 」 : コンディヤック 『 ニンゲン ニンシキ キゲンロン 』 ノ 「 ビテキ ・ カンセイテキ ナ モノ 」 オ メグル イチシザ(2)
  • Aesthetic Expression and 《Ordre》: Centered on Condillac’s Essai sur l’origine des connaissances humaines (2)

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説明

This second part of our study(its fourth, fifth, and sixth sections), the former part(its first three sections)of which was published in the previous issue of this Bulletin(vol.LXXII (no. 2), 2021), focuses successively on the visual dimension of the aesthetic expression of inversion in the Essai sur l’origine des connaissances humaines (1746)(the fourth section)and on the generation theory of visibility in the Traité des sensations(1754)(the fifth and six sections). We underline in particular the fact that, taking over the orientation introduced by the aesthetic expression theory of the Essai, Condillace starts to deepen his thought in the Traité about the decisive role played for his epistemology by the “peinture” and “tableau,” which might be realized not only through the rhetorical technique of inversion(the Essai)but more explicitly through the generated simultaneous visibility supported by the “imagination”(=“mémoire”)and by successive analytical tactility(the Traité). Furthermore, his later works such as the Grammaire (1775, though its drafting possibly began, from 1758), the Logique(1780)and the Langue des calculs(1798(posthumous publication))were to prove the epistemological significance of this ordered simultaneousness for Condillac, the original form of which is implied already in the aesthetic expression theory in the Essai, which will be examined in the last part of our study(its seventh and eighth sections)in the next issue of this Bulletin.本研究は、哲学者エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤックの『人間認識起源論』(一七四六年)を中心に、彼の経験論哲学の美学的射程を検証する一連の試みの第二部である。先回の第一部の三節の論考を受けて、第二部最初の第四節では『人間認識起源論』の倒置論における行動言語の影響を受けた音声言語による美的表現技法に分析の焦点を当てる。行動言語の美的表現の核たる「絵画」性が、「倒置」によって作動する想像力の働きを通じて「タブロー」として音声言語の美的表現へと昇華されるコンディヤックの議論構成の内実を明らかにする。残りの第五節と第六節では、『人間認識起源論』のほぼ八年後の著作『感覚論』( 一七五四年)の視覚の「全体瞬時性」の生成論に着目する。ここでは、「彫像」の「視覚」が外界世界を「全体瞬時な」「タブロー」として把握するためには、「想像力」(『感覚論』では「記憶」)そして「触覚」の介在が不可欠であることが示される。従来から研究者達が強調するのは特に後者の「触覚」の重要性だが、本論ではそれを踏まえた上で「想像力」と「全体瞬時性」としての「視覚」を支えることの認識論的意義を強調する。つまり、「触覚」の「分析性」による「秩序」化された「全体瞬時性」を、「想像力」(「記憶」)を介して「視覚」が飛躍的に拡大することの認識論的意義である。これこそが、『人間認識起源論』の美的言語論の孕んでいた認識論的意義の『感覚論』が齎らした決定的進展に他ならない。そしてこの方向は、次回の本論第三部が検証する、コンディヤックその後の晩年に至るまでの期間の著作群、『文法』(『教程』(一七七五年)所収だが執筆はおそらくパルマ赴任の一七五八年から始まっていると思われる)、『論理学』(一七八〇年)そして『計算の言語』(一七九八年(死後出版))でも変わらずに引き継がれることになろう。これを明らかにした上で、コンディヤック哲学の美学的射程が現代の我々にとって持つべき意義を明らかにするのが次号掲載予定の第三部の課題となろう。

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