梅国禎と万暦二十年寧夏兵変

書誌事項

タイトル別名
  • The Relationship of Mei Guo Di(梅国禎)and Wan Li(万暦)Twenty Disturbance in the Nin Xia(寧夏)

抄録

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万暦三大征の一つとしてよく知られている「ボハイの乱」は、明朝九辺鎮の一つである寧夏鎮の軍士が巡撫の苛斂誅求に耐え切れず起こした兵変であり、寧夏兵変と称すべき事変であった。辺鎮の官軍は明朝の軍事制度である衛所制に基づき、衛所から派遣された衛所官軍によって構成されていたが、相次ぐ軍士の逃亡によって、将帥は家丁を雇って任地に赴くようになった。万暦年間の辺鎮官軍における家丁の比率は上昇する一方であり、またそのための人件費も膨らむ一方であった。万暦二十年(一五九二)頃の寧夏鎮においても状況は同じであり、この反乱もこのような家丁を中心とする反乱であった。本稿ではこの反乱を鎮圧する過程に携わった梅国禎が督軍として李成梁を推薦するに至った過程と、結果的に李如松が総兵官となり、梅国禎が監軍となった経緯を具体的に検討する。この中で監軍と巡按の関係について検討した。

収録刊行物

  • 人文研紀要

    人文研紀要 100 117-151, 2021-09-30

    中央大学人文科学研究所

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