中世歌謡と漢語 : 『宗安小歌集』の語彙「しんこ」をめぐって

書誌事項

タイトル別名
  • Medieval Japanese songs and Chinese : About the word shinko in Sōan-koutashū
  • チュウセイ カヨウ ト カンゴ : 『 ソウアンショウカシュウ 』 ノ ゴイ 「 シンコ 」 オ メグッテ

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説明

本稿は,中世末期の『閑吟集』と近世初期の隆達節小歌との中間に位置するとされる歌謡集『宗安小歌集』三八番歌について二つの側面から再解釈を試みるものである。第一に,小歌に使用されている語彙「しんこ」は,従来「尽期」と解釈されてきたが,その妥当性と根拠を再検討し,「尽期」を退けて新しく「真箇」という解釈を提示する。第二に,「月をふんては」と「風雨の来」の二表現を考察する。特に,三八番歌が漢詩との強い関連性を有する点を重視して再解釈する。 まず,古辞書や近代以降の国語辞書を調査した結果,「尽期」という言葉は従来の解釈であった「未来永劫」「永遠」のような意味を持たないということを明らかにした。同語の意味に対する誤解は,節用集に取り上げられた「尽未来(際)」に対する誤解から生じたものであった。 次に,『日本風土記』に現れた「心可揺」が「心誠」の意であることを手掛かりに,漢詩文や抄物などの文献に散見する「真箇(个)」を考察し,「しんこ」を同じく古辞書に収載されている「真箇」として理解する可能性を模索した。その結果,「尽期」より「真箇」のほうが『宗安小歌集』の「しんこ」に相応しいということを明らかにした。 最後に,「月をふんては」と「風雨の来」を漢詩文にある「踏月」「風雨来」と比較考察し,「真箇」という解釈に基づいて三八番歌の再解釈を試みた。その結果,「風雨の日に訪れる人こそ誠意を持つ恋人」という解釈となることを示した。 以上の考察から,『宗安小歌集』の「しんこ」は「尽期」ではなく「真箇」と解すべきであり,漢語系表現が使用される同集の収載歌は日本の伝統的な恋愛観を踏まえつつ,漢風表現の導入により新味が生じた。三八番歌は,漢詩表現を好む人物が作り上げてから民間に流入した和漢折衷の小歌であるとの結論に至った。

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