Rethinking typological universal, deontic > epistemic - The case of Japanese modal marker 'monoda' -

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抄録

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モダリティを表す語嚢形態であるモーダルマーカーが、 1つの形式で2つ以上のモダリティとして機能する多義性(polysemy)を持つことは異なる言語間で確認され、この多義性は義務や許可を表す「行為拘束的モダリティ(deontic modality)」と話者の命題に対する意見の表明を表す「認識的モダリティ(epistemic modality)」の間で議論される。またこの多義性は「行為拘束的モダリティ」から「認識的モダリティ」が派生したものであり、その逆ではないという文法化の「一方向性仮説(unidirectionality hypothesis)」が言語類型論的普遍性(typological universal)であると見なされている。しかし、最近ではこの類型論的普遍性である多義的アプローチに対して、モーダルマーカーは1つの中核的意味特性からなり、どの用法を意味するかは文脈によって決定されるという単義的アプローチ(例:Kratser 1981, Papafragou 2000)が注目を集めている。本研究では、複数の機能をすると見なされている日本語のモーダルマーカー「ものだ」の「行為拘束的モダリティ」と「認識的モダリティ」の用法の関係を考察し、単義的アプローチによる説明の妥当性を主張する。分析において、機能主義言語学に基づく言語習得理論である「競合モデル(Competition Model)」 (Bates & MacWhinney 1981)による「キュー(cue)」の概念を用い、競合モデルが言語習得だけでなく文法化の分野においても適用可能であることを述べたい。

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