戦後日本社会における労働争議に関する考察:三池労組は,何を守ろうとしたのか?

書誌事項

タイトル別名
  • センゴ ニホン シャカイ ニ オケル ロウドウ ソウギ ニ カンスル コウサツ : ミイケ ロウソ ワ,ナニ オ マモロウ ト シタ ノ カ?

この論文をさがす

説明

三井三池争議は,1959年12月から1960年11月まで,282日間に及んだ労働争議である。その争議の規模は,争議費でみると企業側が銀行団の協調融資で約33億円,それに対して労働側が約22億円である。警備費用は約10億円といわれている。そして争議期間中の延べ人数で,労働側は約30万人が参加し,動員された警察官は約50万人であった。戦後日本社会において,最大の労働争議である2)。  筆者は,もっぱら聞取りによってIT 技術者の人的資源管理に関する研究をおこなっている。石炭産業とその労働者について,本格的に研究したことはないし,今後もすることはないであろう。この様な,筆者が三井三池争議に関心を持った理由について簡単に述べよう。IT 技術者の研究を進めるにあたって,ソフトウェア開発と類似する特徴をもった産業と労働を参考にしている。労働調査研究の分野においては,炭鉱・鉱山・鉄鋼の研究の蓄積が分厚い。そのようなこともあって,行き当たったのが日本の炭鉱・鉱山労働であった。とくに,日本の友子とよばれる炭鉱労働従事者の組織の研究などが参考になった3)。  どのような点が参考になったかというと,製造業と比較したとき,IT 技術者の労働は,標準作業が確立しておらず,そのため賃金は出来高給の色彩が強い。具体的に言えば,何を,どれだけ,どうやって作業を遂行するのかということが明確でなく,賃金は,年収で見たとき,ボーナスの比重が高い。炭鉱・鉱山の職場においても,同様な傾向が観られた。企業が標準的な作業と賃金を設定することが難しく,それ故採炭量に応じて賃金が決まっていた。そして,両方の職場では,労働者の自律性に依存した間接管理方式となっている点である。それらの点が,類似していると筆者には思われた。  当然,炭鉱・鉱山の労働調査研究をサーベイすれば,戦後最大の労働争議である三池争議に行きあたる。この争議で,三池労組は,何を守ろうとしたのであろうか。そして何故,何を巡って,死傷者がでるほどの,長期にわたる激しい争議となったのであろうか。これらの素朴な疑問が湧いてくる。そこで本研究ノートでは,先行の論考を参考にして,及び腰ではあるが,考察し,これらの疑問に応えておきたい。  その結論を先に言ってしまえば,三池労組は,配役(はいえき)の権限を守ろうとしたのだと思われる。配役とは,つぎのようなものである。1950年代以前は,入坑前に繰り込み場で,経営側の係員が,「誰が,どの切羽(きりは)の,どのような作業を分担するか」を決めていた。切羽とは,石炭を掘り出している場所を言う。その条件は,非常に多様である。三池炭鉱の場合,有明海の地下500m に切羽がある。露天掘りではない。そのため,地下水の漏れが多く,炭層の質の良いところ,掘りやすいところもある。反対に,掘りにくいところもある。そして当時の採炭工は,出来高給であった。そうすると,配役で,炭層の良い条件のところに回されれば賃金は多くなり,悪い条件のところに回されれば賃金は少なくなる。彼らの生活を左右する重要な鍵であった。  三池労組は,1950年代後半の労使交渉と争議をへて,その配役の権限を経営側から奪った。そして三池争議において,この権限を三池労組は死守しようとし,経営側は奪還しようとしたのである。  以下,本研究ノートでは,三井三池争議の背景と経緯を整理し,三池労組が守ろうとした配役の権限について,平井陽一[2000]に依拠して整理する。そして最後に,なぜ,死守しようとしたのかの理由の一端に迫りたい。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ