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- Michel, Wolfgang
- Institute of Languages and Cultures, Kyushu University
書誌事項
- タイトル別名
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- Caspar Schambergers Kindheit und Jugend
- Caspar Schamberger's Childhood and Adolescence
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説明
この論文はドイツ・ライプチヒ市史料編纂所の記録及びその他の年代記などを基に、日本における「カスパル流外科」の元祖カスパル・シャムベルゲルの少年期、30年戦争期のライプチヒ市及び外科医ギルドの状況を追っている。 カスパルの父、バルタザール・シャムベルゲルはフランケン地方のケーニヒスベルクから移住している。彼はワインを商い、1622年にライプチヒの商人の娘、マルタ・フィンジンガー(Martha Finsinger)と結婚した。1年後、カスパルが生まれるが、その父は1629年には亡くなっている。1631年に母が再婚してからは、商人だった継父の家で暮らした。続く10年間でカスパルは、30年戦争で故郷の町が荒廃していく様子を体験した。最初この町は皇帝の軍隊に、1636年からはスウェーデン軍の攻撃を受け、見本市に商人はほとんど来なくなり、ペストも何度も流行して人口は劇的に減少した。 経済の危機的な状況、継子という立場や医学教授ヨハン・ミヒェル(Johann Michel)の助言もあり、シャムベルゲルは13歳で、親方クリストフ・バヒャルト(Christoph Bachert)の下で外科医の見習いとなった。1640年までの見習い期間中に再びペストが流行したり、戦闘が起こったりするため、シャムベルゲルは実践的な経験が豊富になった。修行が終了したとき、当時のエピソードが示すように、シャムベルゲルはギルドでのキャリアをつむ機会は、ほとんどなかった。ヨーロッパの新教地域で遍歴をするうちに、オランダの東インド会社に雇われて東アジアへ行こうと決心した。
収録刊行物
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- 独仏文學研究
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独仏文學研究 45 111-123, 1995-11
九州大学独仏文学研究会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050580007680989568
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- NII論文ID
- 110000285752
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- NII書誌ID
- AN00172717
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- ISSN
- 04178890
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- HANDLE
- 2324/3251
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- NDL書誌ID
- 4075472
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- 本文言語コード
- de
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- NDL
- CiNii Articles