熊本時代の〝漱石異聞〟 : 五高端艇部員「事件」 : 愉快犯・篠本教授の「証言」と夏目教授のアリバイ

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タイトル別名
  • “Curious News of Soseki” in His Kumamoto Days: An Event of a Boat-club Member of Goko High School (Kumamoto): The Witness of Professor Sasamoto, an Offender for Pleasure, and Professor Natsume’s Alibi
  • 五高端艇部員「事件」 : 愉快犯・篠本教授の「証言」と夏目教授のアリバイ : 熊本時代の"漱石異聞"
  • ゴ コウタンテイ ブイン 「 ジケン 」 : ユカイ ハン ・ シノ ホン キョウジュ ノ 「 ショウゲン 」 ト ナツメ キョウジュ ノ アリバイ : クマモト ジダイ ノ"ソウセキ イブン"

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抄録

熊本・五高教授時代、夏目漱石(金之助)は端艇部長であった。その時に端艇部員であった五高生徒が、飲食店で支払いきれない多額の借金を負ったため、漱石に相談したところ、漱石は百円という巨額を生徒に与えて、自分は端艇部長を辞めてしまったと、『五高人物史』や『五高七十年史』に記されている。しかし事実ではなかろう。なぜならその夏、漱石は実父の死去にともなって帰京しており、生徒たちとの接点は全くなかったし、辞任したとされる9月はちょうど部長の任期が終わった交代時期に過ぎなかった。この記述は、漱石と同僚であった篠本二郎教授が書き残した証言に基づいている。その篠本は、一方で、自分は漱石と小学校同級であって、机を並べて勉強したなかだとも書いている。だが実際には二人は4歳もちがっており、入学した学校もちがっている。ただのちに漱石が転校した先は、篠本がかつて卒業した小学校であった。同窓ではあるが、同時期ではなく、同級ではない。篠本が「漱石と同窓だ」といえば、聞き手が勝手に同級生と解釈するから、逆手に取ったのであろう。ほかの篠本証言も疑わしい点が多く、信頼はできない。篠本の文章は広く引用されて、全集にも収録されているのだが、彼の友人を漱石に仮託しただけの創作である。

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