ヒロシマはいかなる「平和」を示そうとしてきたか:1947 年から1950 年代における広島市長「平和宣言」の基礎的分析から
書誌事項
- タイトル別名
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- ‘Peace’ – Hiroshima Has Been Trying to Manifest:An Analysis of ‘Peace Declarations’ by Hiroshima CityMayors from 1947 to the 1950
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抄録
本稿は「ヒロシマ」イメージの形成過程を検討するため、広島市長が毎年8 月6 日に発表する平和宣言を検討する。1947 年から1950 年代の時期を対象とする。占領期に始まる平和宣言は、朝鮮戦争による中止、占領解除という情勢の変遷を経つつも、1 回の例外を除き継続し、現在までの定着を見た。またこの間、市政は濵井信三、渡辺忠雄の2 人の市長に担われたが、平和宣言については、差異も認められるとは言え、通底する部分も多い。それはある種のヒューマニズムを基礎に、保革を問わず「大同団結」するという理念である。なお常に表出されるとは限らないが、平和宣言の基底には日本国憲法の平和思想が参照されている点も指摘した。
収録刊行物
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- 紀要
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紀要 16 1-25, 2024-03-31
多摩大学グローバルスタディー学部
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050581108551563008
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- NII書誌ID
- AA12419269
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- ISSN
- 18838480
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB