[論文] 古代戸籍のなかの母子 : 大宝二年半布里戸籍にみる戸の編成と家族

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  • [Article] Mothers and Children in Ancient Household Registers : Families and Organization of Households in the Year 702 as Indicated in Hanyuri Koseki

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抄録

日本古代の戸は父系家族の外観を呈するが,その内部は父母+コ,父+コ,母+コのオヤコ単位の連鎖によって構成されている。国家は,こうした複数のオヤコ単位をいかにして父系的な戸に編成していったのか,その具体的なプロセスは未解明の課題である。そこで本論では,大宝二年(702)御野国半布里戸籍にみえる女性の付貫形態に注目し,この問題の検討を試みた。戸籍を精査すると,「妻」として付貫された女性は婚姻女性の一部に限られ,戸内最年長男性(ほとんど戸主)とそれに次ぐ年長男性2~3人に限定的に「妻」を同籍する原則が確認できる。戸籍上の「妻」は単なる親族名称ではなく,編戸に際して里内年長男性の配偶者に付与された地位呼称と考えられる。一方,女児は出生時に母のもとに片籍され,父の年齢順位が上がり,母が「妻」の呼称を付与された時点で母とともに父の戸に移貫された。つまり,戸籍による女性の把握は原則として母を定点として行われており,母児の父系編成は戸籍を介して女性に「妻」の地位呼称を付与することではじめて可能になったと考えられる。また「妻」の同籍は,父系によって戸を再生産していくために不可欠の操作でもあった。当時の戸主の地位継承は父系的な「世代内継承」,すなわち年長の戸主同世代傍系親(兄弟・同党[イトコ])を優先し,次に子世代「嫡子」に及ぶという継承方式によって行われていた。そこで国家は,戸主と兄弟・同党に「妻」を同籍した上でその複数の長子=「嫡子」たちを次世代戸主継承候補として確保し,同時に「妻」を若年「嫡子」の後見人に位置づけることで,戸のスムースな父系継承を図ったのである。そして「世代内継承」によって析出された同党を越える遠縁の親族集団は寄口とされ,課丁や戸主継承候補の不足する戸に寄せ付けられた。「妻」と「嫡子」を同籍する寄口は戸主の地位継承候補と目されており,寄口と戸口の間に身分の差はなかったと考えられる。

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