[論文] 金井沢碑の「現在侍家刀自」再考 : 戸籍/系譜と一族結合よりみた「妻」説への疑問

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  • [Article] Does the Kanaizawa Stela's Inscription Really Mean “the Wife of the Household?” : Challenging the “Wife” Theory through Analysis of Residence Unit Register Formats, Genealogy Styles, and Rural Elite Familial Bonds

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抄録

上野三碑の一つである金井沢碑文には、戸籍書式、古い系譜様式、新たに流入した仏教的祖先観、供養願文書式等の複合的影響がみられる。金井沢碑および山上碑の建立地は多胡郡(旧片岡郡)山部郷であり、そこが広義(異姓の双系血縁者を含む)の「ミヤケ」一族の本拠地だった。「現在侍家刀自他田君目頬刀自」は、「三家子□」(願主)の「妻」ではなく、「仏説盂蘭盆経」にいう「現在父母」の一人として、「三家子□」の現存する「母」の可能性をも含む母世代の近親老女であり、「ミヤケ」一族長老女性だった、と推定される。「加那刀自」は「目頬刀自」の児ではなく、「三家子□」の「児」であり、「物部午足」キョウダイも「三家子□」の「孫」(加那刀自またはその姉妹の子)である。 七世紀末までの豪族層は、伝承的始祖と子孫を直結する氏族の系譜意識と、双系的父母につらなる身近な血縁意識の並存の中で生きていた。仏教用語「七世父母現在父母」はそこに新たな祖先観をもたらしたが、それはまず、旧来の系譜語りと重ね合わせる形で受容された。七世紀後半公定な「三家」姓(父系)の枠組みと、現実の双系的一族結合(異姓者を含む)とのズレに、国家的諸制度と仏教的祖先観の浸透が重なり、地域社会における祖先観は変容していった。七世紀後半から八世紀前半のこうした実相を考える上で、金井沢碑と山上碑は好個の資料である。

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