第一次世界大戦における飛行家としてのダンヌンツィオ : カプローニ爆撃機との関わりを中心に

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  • Aviator d’Annunzio in the Great War : Focusing on His Involvement with Caproni Bombers

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抄録

1914 年7 月末に始まった第一次世界大戦に,イタリア王国は翌年5 月,オーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告して参戦する。かねてからそのような形での参戦を主張し,参戦キャンペーンに大きく貢献した詩人ダンヌンツィオは,特別な地位を得て王立陸軍・海軍を行き来し,とりわけ両軍の航空隊でさまざまな作戦に参加した。詩人は新しい乗り物としての飛行機に魅了され,新しい兵器としての飛行機に大きな可能性を見出していた。爆撃機を開発していた技術者カプローニと出会うと,1917 年5 月には陸軍参謀総長カドルナへ爆撃機中隊の活用に関する覚え書を提出し,夏から秋にかけては,カプローニ爆撃機によるアドリア海沿岸のオーストリア海軍基地への爆撃を行なった。同機によるウィーン飛行もカプローニとの間で計画されていたが,これは別会社のSVA 機によって1918 年8 月に実行された。 ダンヌンツィオは1888 年に発表した論説文『イタリア海軍論』で,将来の対オーストリア戦を想定した海軍の近代化・増強を訴えていたが,実際の戦争において彼の軍事への関心はさらに強まり,爆撃機中隊の活用に関する覚え書では,爆撃機を用いた具体的な戦略が示された。 カプローニはオーストリア生まれであるが,彼の出身地はイタリア側から「未回収領土」と考えられていた地域であり,カプローニ自身もそのような信念を持っていた。このことが,彼がイタリアにとどまり,詩人と出会う背景にあった。 本稿では,まず大戦以前の『イタリアの海軍論』や航空の講演会にさかのぼったのち,ダンヌンツィオの大戦における航空隊での活動を追う。また,カプローニの大戦までの歩みもたどったうえで,1917 年以降の詩人とカプローニ爆撃機の関わりを跡づける。

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