黄遵憲の自治思想 ―清末の湖南変法運動を中心に―

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タイトル別名
  • Huang Tsun-hsien’s Thoughts on Self-government ?Focusing on the Hunan Reform Movement in the Late Qing Dynasty?
  • キ ジュンケン ノ ジチ シソウ : セイマツ ノ コナン ヘンポウ ウンドウ オ チュウシン ニ

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抄録

アヘン戦争後、「西洋の衝撃」を受けて、一部の中国の知識人たちは救国の道を探り始めた。黄遵憲はその中の一人である。彼は十数年の外交官生活の中で、西洋の政治文明を経験した。帰国後、黄遵憲はすぐに改革運動に挺身し、湖南で「民権」を中心とした「地方自治」実験を行った。本稿は初代駐日参賛である黄遵憲を対象に、彼の自治思想と湖南変法運動のなかでの自治実践を中心に考察した。黄遵憲の自治思想を考察する際に、次の二つの問題は避けられない。すなわち、第一に、黄の自治思想は中国の伝統的自治論の枠組みを越えたか否か、第二に、黄遵憲の自治実践としての保衛局の性質が警察局と見なされたか否か、という二点である。本稿はこの二点を中心に、先行研究を検討したうえで、黄遵憲の自治思想を明らかにした。結論は、以下の二点である。  第一に、黄遵憲が唱えた「自治其身、自治其郷」の意味については、伝統的知識人としての彼が明末清初の思想家顧炎武の自治論の影響を受けたことは疑えない事実である。しかし、黄遵憲の自治認識は伝統的「封建」論者の議論をそのまま継承したものではなかった。彼の議論は、伝統的な「封建―郡県」論の枠組みを越えて、近代的民権の概念を視野に入れた。それはすなわち、官権の一部を紳や商に分けて、分権を通して民権を取り入れたことである。このようにしてこそ、「不相習之弊」、「不久任之弊」という問題を解決することができると黄は考えたのである。  第二に、保衛局の運営体制と保衛局の性質に関しては、その担い手は、章程によれば、官紳商という三者であった。つまり、従来では考えられなかった商人層を初めて地方の運営管理層に入れた。また、保衛局の性質について、確かに、それは日本の警視庁を模倣して作られたものが、その性質はけっして行政機関としての警察局に止まらなかった。保衛局は同時に近代的な「自治」の性格を備える機関であったのである。

収録刊行物

  • 総研大文化科学研究

    総研大文化科学研究 (20), 274(1)-260(15), 2024-03-31

    総合研究大学院大学先端学術院 / 葉山町(神奈川県)

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