伊藤昌哉と池田勇人 ─未公開史料を用いて読み解く師弟関係─

書誌事項

タイトル別名
  • Masaya Ito and Hayato Ikeda
  • 伊藤昌哉と池田勇人 : 未公開史料を用いて読み解く師弟関係
  • イトウショウヤ ト イケダ ハヤト : ミコウカイ シリョウ オ モチイテ ヨミ トク シテイ カンケイ

この論文をさがす

抄録

二〇二二年七月八日、元首相・安倍晋三を死に追いやった銃撃事件は、日本のみならず、世界中に衝撃を与えた。首相・岸田文雄が決断した吉田茂以来の安倍の国葬挙行も大きなニュースとなったが、現職議員であった安倍の国会での追悼演説を、立憲民主党の元首相・野田佳彦が行うまでの紆余曲折も世間の耳目を集めた。 その前例とされたのは、池田勇人内閣期の一九六〇年一〇月一二日、早期の衆議院解散が既定事実となる中、日比谷公会堂にて開催された自民党、社会党、民社党「三党首大演説会」で、社会党委員長の浅沼稲次郎が演説中、山口二矢という一七歳の右翼少年に刺殺された際、解散を行う臨時国会の場で行われた池田による浅沼に対する追悼演説である。演説原稿を執筆したのは、池田の首相政務秘書官・伊藤昌哉であった。この演説は、日本においては本格的なスピーチライターによる演説の嚆矢とされている。 筆者は後年、政治評論家に転じた伊藤と一九八〇年代半ばから死去する二〇〇二年一二月まで、放送記者や新聞記者の立場での取材を通して凡そ二〇年間の交流があった。伊藤の死後、淳子夫人から故人の政治史料の一部を託された経緯もある。その中に「池田さんと私(人間関係)」と題する二〇〇字詰め原稿用紙にブルーのインクで書かれた二四枚に亘るメモがあった。それに加え、同じく二〇〇字詰め原稿用紙七枚に綴られた補足メモも残されている。 升目を埋めるだけでなく、用紙の欄外にも、後から挿入された様々なことが加筆されている。本稿は、このメモを翻刻し、池田と伊藤の間に存在した濃密な師弟関係を紹介することが目的である。このメモから、最高指導者とそれに仕える者の間に存在する規範、秩序が見い出せればと期待している。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ