戦時体制下における看護学の高等教育への展開--女子厚生専門学校および女子専門学校保健科の光芒--

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  • 木野, 涼介
    日本学術振興会特別研究員; 教育哲学・教育史学コース博士後期課程1回生

書誌事項

タイトル別名
  • A Study on the Transformation of Education in Joshi Semmon Gakko Including Nursing Education During the Wartime Regime in WWII: The Prosperity and Downfall of Joshi Kosei Semmon Gakko and Hoken-ka at Joshi Semmon Gakko
  • センジ タイセイ カ ニ オケル カンゴガク ノ コウトウ キョウイク エ ノ テンカイ : ジョシ コウセイ センモン ガッコウ オヨビ ジョシ センモン ガッコウ ホケンカ ノ コウボウ

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抄録

戦時体制下においては、女子厚生専門学校・専門学校保健科の新設・設置との形態で局所的な看護学の高等教育への展開が見られた。女子厚生専門学校は戦時体制下における看護職養成需要と学校運営者の高等教育機関への展開意欲がマッチし1945 年までに2 校が新設された。専門学校保健科は「女子専門学校教育刷新」に基づく女子専門学校の再編の一環として既存の女子専門学校家政系学科の転換により設置され、言説レベルでは看護職養成をも想定した。然るに、教育課程・教員組織は保健科設置以前との高い連続性を有し、実態は保健科教員・公衆衛生指導者養成の国家的要求と女子専門学校の現実の妥協点に成立した学科といえた。戦後、戦時に新設された女子厚生専門学校は廃止され、保健科は家政系学科に復した。戦後設置の滋賀県立女子専門学校保健科は保健科において保健婦教育のなされた唯一の事例であったが、新制短期大学へは承継されなかった。

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