尾藤二洲の思想世界: 明末清初思想と武家社会の朱子学のはざま

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  • ビトウ ニシュウ ノ シソウ セカイ ミンスエ シンショ シソウ ト ブケ シャカイ ノ シュシガク ノ ハザマ

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近世社会の成立とともに、気の思想世界である東アジア儒教文化圏に朱子学、陽明学が成立する。日本においては神儒仏三教一致の思想世界が形成され、そこで外来思想であった儒教、朱子学・陽明学が多様な展開をみせ、儒学思想史が成立するのである。西に伊藤仁斎の古義学、東に荻生但侠の古文辞学と古学が成立し、徊陳学以後は現実への実践的関心を思想的動機として、日本儒教の気の思想世界の中から、折衷学や懐徳堂学派、重商主義的経世論が登場する。そのようななか、朱子学は寛政正学派によって「経世済民の学」として再生する。「異学の禁」以降、朱子学は酬修己治人」の学として一武家社会」における教化・教育を担っていくこととなるのである。とはいえ、儒教・儒学思想は総じて道徳学に限定され大衆化し、諸思想を折衷しつつも社会思想として拡がりをみせていくこととなるのであった。近世日本の儒学思想史の展開を以上のようにとらえたうえで、ここでは寛政正学派の一人尾藤二洲の思想をとりあげ、その思想世界を論じていきたい。本稿は、晩年に記したとされる『択言』を通して、そこに含まれた理と気の世界を論じる唯一の長文を軸にそれを検討した研究ノートである。

Journal

  • 奈良史学

    奈良史学 (24), 105-118, 2006-12-01

    奈良大学史学会

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