織豊系城郭以前
説明
近世社会の幕開けをどの時期に設定するかは、織田・豊臣政権に対する評価と関わる重要問題である。織田政権の性格については、まだ結論が出ているとはいえない。ただ、城郭研究において、信長の安土城を近世城郭への画期とすることは、大筋で認められるであろう。石垣・瓦・礎石建物の使用が、その指標として挙げられている。しかし、安土城以後も、城郭が一斉に近世化したわけではない。織田勢力下でも同時期に、中世城郭の特徴を持つ城が築かれていた。また石垣や瓦など、個々の技術的特徴については、安土城以前の城郭にも部分的にみられる。織田勢力においても、中世城郭からの築城技術の発展過程があったはずである。であるならば、安土城以前こそ問題としなければならない。以上のような問題に答えるための視点の一つに、縄張りの分析がある。城郭の縄張り研究は、一九八〇年代に急激に進歩した。さらに、織豊期の発達については、編年を中心とした研究がある。今回はその成果に基づき、織豊系独自の縄張り、出現期の様相について検討する。具体的には、織豊系縄張りの特徴を、出現期において同時期の周辺の城郭と比較してみてみたい。
収録刊行物
-
- 奈良史学
-
奈良史学 (13), 93-104, 1995-12-01
奈良大学史学会
- Tweet
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1050582008179075968
-
- NII論文ID
- 120002677140
-
- ISSN
- 02894874
-
- 本文言語コード
- ja
-
- 資料種別
- departmental bulletin paper
-
- データソース種別
-
- IRDB
- CiNii Articles