李白「月下独酌四首」考

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  • リハク ゲッカ ドクシャク ヨンシュ コウ

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唐代の詩人・李白は、中国知識人の常として、伝統的な政治参与の人生を歩むことに夢を託した。若いときから、萬民の暮しをよくするため、皇帝の政治を補佐し、役に立ちたいと夢想していたからである。また自己の能力はその役に立ち得るという強い自負もあった。しかし、皇帝のそば近く仕えた一年余りの時間に、彼の予測しなかった排斥論が宮廷人の中で取り沙汰され、やがてそれが宮廷追放のもととなった。その理由は、翰林供奉という立場にある人間として「飲食のマナーが悪い」という致命的な評判である。それゆえに玄宗皇帝の鶴の一声ともいうべき「彼は廊廟の器ではないようだ」との評価を受けて、自発的な「還山」(都からの退去)を申請する形をとったのだった。一応の体面が保たれたものの、要するに態のよい所払いである。そうした状況に立たされた時、彼は月と我が影を友として、詩型の自由な連作「月下独酌」四首を作った。この連作により、飲酒の無上のすばらしさを、起承転結方式で詠いあげて、宮廷人社会との訣別を宣言したのである。(本稿は2002年5月24日、中国の陳西師範大学文学院で行われた「日中文学芸術学術交流研討会」において筆者が報告したものである。この論旨を一般読者向けに述べたものが、雑誌『しにか』2002年6月号に「独酌相親しむ無し」と題して掲載されていることを付記する。なお中国語訳は、帝塚山学院大学の彰佳紅氏の援二助による)

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