明治末期に於ける被差別部落と学校 : 『福岡県教育会々報』掲載記事を通して

書誌事項

タイトル別名
  • Hisabetsu-Buraku (a particular discriminated community) and One Primary School in the Meiji Era in the 40's
  • メイジ マッキ ニ オケル ヒサベツ ブラク ト ガッコウ : 『 フクオカケン キョウイク カイカイホウ 』 ケイサイ キジ オ トオシテ

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説明

被差別部落は近世の「かわた」村を継承する身分差別であるというより、所謂解放令以降の歴史的経緯の中で近代に特有の被差別地域が構造的に生み出されたものが近代以降の部落差別である。それが近世と異なった形で具体的に現れるのは「スラム化」である。その「スラム化」された地域を呼称する「特殊部落」という用語が定着するのが明治40 年頃と説明される。そして「スラム化」を食い止めようとしたのが部落改善運動であった。福岡県教育会に於いて被差別部落の子どもたちに対する教育の必要性は提起されてはいたが、おりしも日露戦争後の地方改良運動に歩調を合わせるかのように宗像郡福間町の小学校による部落改善の活動が『福岡県教育会々報』誌上に掲載された。そしてこれがこの時期における唯一の報告であり、部落改善運動の実際を知る希少な史料であると言えよう。本稿ではこの報告書を翻刻し、解説を試みたい。

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