旧約聖書及びユダヤ教における神礼拝

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  • キュウヤク セイショ オヨビ ユダヤキョウ ニ オケル シン レイハイ

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キリスト教の礼拝は旧約聖書及びユダヤ教から何を継承し,何を新しく創造したのであろうか。これは,イスラエル宗教がキリスト教信仰の源流である限り,キリスト教「礼拝学」にとって避けて通れない問いである。岸本羊一は旧約聖書における神礼拝について,エジプト脱出の「歴史への想起(lezikkaron)」がイスラエル民族のあらゆる礼拝行為の中心となっている」と言う。そして,「イスラエルのこの礼拝神学が,そのままにキリスト教礼拝神学の枠として受けつがれる」と主張する。そして,祭儀的礼拝における「想起」の役割を強調し,さらに,「ユダヤ教において,シナゴーグでおこなわれていた『ことば』による礼拝もまたこの『想起』のわざであった」と結論づける。ここでは,イスラエルの神礼拝の特徴が2本柱で把握され,「想起」という概念で統一されている。それらは,過越の祭りと結びついた歴史的な出エジプトの救済の出来事を祭儀・サクラメントによって記念すること(出エジプト12:14)と,シナゴーグでの「ことば」による礼拝とである。「旧約聖書の信仰者は,[個々人の]自由な精神の状態で生きるのではなく,一定の礼拝の形をもった生活において生き」たことは事実であるが,しかし実際には,旧約聖書に描かれたイスラエルの礼拝行為はもっと多種多様であり,キリスト教礼拝には,単なる過去の歴史における神の救済行為の「想起」だけでなく,その歴史の未来あるいは未来を切り開く神への希望の要素も否定できないであろう。

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