八〇年代上海の表象――中川道夫写真集『上海紀聞』より

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  • ハチ〇ネンダイ シャンハイ ノ ヒョウショウ--ナカガワ ミチオ シャシンシュウ 『 シャンハイキブン 』 ヨリ

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抄録

写真は、変化する都市の姿を定点観測として記録するのに最も有効なメディアと言えよう。たとえば私たちが日頃見慣れている大通りの交差点や百貨店の姿を、三〇年前や五〇年前の同じ場所を写した色褪せた写真の中に見出した時に、誰もがそこはかとない郷愁を感じる。上海という、この百年間に大きな変化を経てきた都市についても同じであり、二〇世紀初頭の外灘を写した古い写真などに、私たちは興味を奪われる。しかしここで紹介しようとする中川道夫『上海紀聞』はそんなに古い写真ではなく、今から約二〇年前、一九八八年に出版された写真集である。著者の「あとがき」によれば、写真は一九八〇年から八七年にかけて撮影されたものとのこと。八〇年代初頭から終盤にかけての上海を活写した写真集、その特殊な時代性にこそ、この写真集の意味があると私は考えている。八〇年代の上海とはどのような時代であったのか。一九七六年に「四人組」が逮捕され、十年間続いたプロレタリア文化大革命が終息。七八年の中国共産党第十一期三中全会で 小平が実権を掌握し、改革開放路線へと大きく舵が切られる。八〇年代初頭の中国はまさに「雪解けの時代」であり、それまで資本主義世界とは隔絶した状況の中で政治運動に明け暮れていた中国の人々が、外国の文化や思想を少しずつ受け入れ始め、自由の意味を知り始めていた時代であった。しかしこの頃はまだ外国人が自由に中国を旅行できる状況ではなかった。開放政策開始当初は訪中団の形で外国人を受け入れ始め、徐々に外国人留学生の受け入れ、一般の団体観光客の解禁と窓口が広げられていった。個人旅行者が自由に入国できるようになるのは八〇年代後半のことになる。もっとも、香港の旅行エージェントの力を借りて入国するルートを使えば個人でも入国はできたので、欧米人バックパッカーたちは八〇年代のかなり早い時期から香港経由で入国し自由旅行を楽しんでいた。これには欧米バックパッカーのバイブル的ガイドブック『Lonely Planet』が寄与するところが大きいが、その日本版とも言える『地球の歩き方』中国編が八二年ころに出版されて香港経由入国の方法が日本にも紹介されてからは、日本人個人旅行者も増えていった。現在では旅行大手に成長したエイチ・アイ・エス(旧HIS秀インターナショナル)が当時の日本のプロパー的存在であり、『地球の歩き方』と連動して、中国に向かう個人旅行者をサポートしていた。ただ中国国内に入っても自由に動き回れるわけではなく、当時まだ多数あった「未開放都市」に入るためには公安局で許可を取る必要があったり、外国人が宿泊できる宿泊施設が比較的大きなホテルに限られていたりと、外国人旅行者にはまだまだ行動の制限が多い時代ではあった。要するに八〇年代は外国人に開放されてはいたものの限定的であり、現在のように中国の隅々の田舎町まで外国人の姿が見られるような状況とは大きく隔たっていたのである。八九年に起こった六・四天安門事件による一時的な冷え込みを経過して、九二年の 小平「南巡講話」以降に一層の開放路線を歩み始めるまでの段階は、現在の繁栄状況から見るとむしろ過渡期ともいえる時代であった。この期間、中国の「現実」をわれわれ外部者に伝える情報は、一部の先駆的なジャーナリストによるもの以外、それほど多くは存在していない。『上海紀聞』の巻末には約四〇ページにわたり中川道夫氏の文章が配置されているが、それによれば、中川氏は一九六九年、高校生の時に「学生友好訪中団」の一員としてはじめて上海を訪れている。文革中であり日中国交回復前ではあるが、このような政治的シンパシーを持つ少数の団体を受け入れることは、中国側から見て文革を宣伝するという意味で歓迎されたのであろう。中川氏を含む訪中団は「中国各地で紅衛兵や造反組織、革命委員会の熱烈な歓迎をうけた」。上海滞在中は「いわゆる観光というものはほとんどなく、毎日ホテルで朝食を摂り終わるとすぐにバスで市内各所の文革で奪権に成功した造反組織や工場などの訪問に費やされ」るという、極めて特殊な旅行を体験している。この文革期上海の体験から十年後、中川氏は再び上海の地を踏み、「四人組」のいなくなった上海を新鮮な目で再発見する。その時から写真家としての中川氏の上海観察が始まるのである。ここでこの写真集の中からいくつかの印象深い写真を取り上げ、そこに八〇年代上海のどのような空間が描写されているかを具体的に述べてみたい。但し『上海紀聞』の写真のページにはページ数が表記されていないので、次に示すページ数は筆者が仮に割り振ったページ数である。カギ括弧内の文はそれぞれの写真に付けられた説明文である。なお、写真はすべてモノクロ写真である。

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