戦時下のチャペルと西南学院と戦争との関わり

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Abstract

原稿の依頼は、『紀要』第4号の特集テーマ「西南学院と戦争」という文脈の中で「西南学院がどのように戦争と関わっていたかを検証すること、特に、戦時中のチャペルの様子」を叙述するというものである。しかし、現在大学で発行しているような、チャペルの「週報」等がないので(当時印刷物としてなかったのか、あったが記録として収集されていないのか不明)、『西南学院新聞』(当時の高等学部の発行ではなく、学生の手によるものであるが、以下『新聞』)に目を通し、チャペルに触れた記事から間接的に当時の様子を探るという方法を取らざるを得なかった1。それゆえ、チャペルの様子を直接資料によって検証することになってはいないことをお断りしておく。また、『新聞』には意外とチャペルへの言及が少なく、この論稿の中心は広く、学院と戦争との関わりが主要部分となっている。さらに、時間的制約と紙幅の制限もあり、一口で「戦争」と言ってもいわゆる「15年戦争」全体にわたって論じることは困難であるので、「満州事変」から、1937(昭和12)年の盧溝橋事件に端を発する「日中戦争」そして1941(昭和16)年12月のシンガポール侵攻、真珠湾攻撃前夜までに限定し、対米戦争の部分は後に譲りたい。全体的に引用が多くなったが、何かコメントを長々と記すより、資料をして真実を語らせるためである。

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