『物語二百番歌合』論 : 「百番歌合」旅部における相異と融合

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  • An Essay on “Monogatari Nihyakubann Utaawase” : The Difference and Fusion in a‘Hyakubann Utaawase - Tabi’

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抄録

藤原定家撰『物語二百番歌合』は、物語歌による最初の歌合だが、当時、物語歌は現実の和歌と同等ではなかった。つまり、評価の定まらなかった物語歌を、同時期に盛行していた歌合の形式で表出したのが、この作品だったと考えることができる。この作品の前半は「百番歌合」と呼ばれ、左方に『源氏物語』(以下、『源氏』)、右方に『狭衣物語』(以下、『狭衣』) の歌々を用いている。『源氏』に番えられているのが『狭衣』であることは、当時の同作品の評価の証だが、「百番歌合」に旅部が設けられている点には注意したい。『狭衣』に旅を描く記事はない。つまり、須磨・明石流離譚において旅のモチーフを内在させる『源氏』と、それを有さない『狭衣』とが、ここでは対峙させられているのである。須磨・明石を擁する『源氏』から歌を採る以上、「旅部」は不可欠だったろう。だが、そこに旅を描かない『狭衣』を番わせては軋みが避けられない。旅を描く作品とそうでない作品。だが、この歌合では、その異質な両者から抜き取った歌々に、通底する認識が窺える。この旅部は、旅という言葉に関して異なった認識を持つはずの二つの物語を、あえて接触させたあわいの上に成り立っている。無関係の文脈下に生成された歌々を番わせることによって、新たな境地を作り出す。本稿は、異質な作品の融合が造形した独自の精神性を、歌合の内部から析出するものである。

収録刊行物

  • 日本語日本文学

    日本語日本文学 (24), 45-59, 2014-03-20

    創価大学日本語日本文学会

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