昭和45年大阪万博の非先端的展示―非“万博少年”の体験した我流万博片隅探訪記―

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タイトル別名
  • ショウワ 45ネン オオサカ バンパク ノ ヒセンタンテキ テンジ : ヒ"バンパク ショウネン"ノ タイケン シタ ガリュウ バンパク カタスミ タンボウキ
  • Tributary Pavilions of low Technology in EXPO'70; a Niche EXPO Reportage in My Own Way by non-“EXPO BOY”

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抄録

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昭和39年東京オリンピックから昭和45年大阪万博までの日本は高度成長の最中で、時代が大きく変貌していく時代。高齢化で衰退していく現在を離脱し、約50年前、庶民が未来の繁栄を信じて疑わなかった幸せな昭和40年代前半にタイム・スリップしてみよう。  沖縄の民芸品等を展示した日本民芸館という超地味なパビリオン出展企業のヒラ杜員兼鉄道愛好者として、並の見学者の立場を越え万博なる非日常と遭遇した経験を紹介し、万博少年ならぬ万博社会人を回顧してみたい。筆者は大阪万博の出展企業の新入社員としてパビリオンを手伝ったため、普通の見学者の立場を越えて万博と遭遇した。半年間近未来型パビリオンのスタッフとしてフルに千里丘陵で働いた「万博勤務者」でもなく、さりとて単なる「万博見物人」でもなく、いわばその中間的存在であった。すなわち「万博社会人」としてパビリオン出展企業の若手社員の勤務として期間中「万博応援」を行った。もちろん勤務の前後に自己の興昧対象である鉄道関連の施設と愛好する音楽の母国のパビリオンを中心に極めて限定的ながら我流の万博見物を行った。そこそこ入場回数がある割に時間のかかる人気館をパスしたため、いわゆる通の万博愛好者の広汎な国際的体験とは比べるべくもない。しかし筆者の関わった館など先端的科学技術と無縁で、旧来の伝統的領域中心の、片隅に置かれた展示館・展示物等も包容力ある万博には数多く隠れていて、広く森羅万象に及ぶ犬阪万博の奥深い意義があったといえるのではなかろうか。

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