「牲祭」への一視座

書誌事項

タイトル別名
  • セイサイ エ ノ イチシザ
  • A Point of View on Sacrificial Rite, Nie-Matsuri
  • ニエ マツリ ヘ ノ イチ シザ

この論文をさがす

抄録

柳田国男は日本古代の人身御供の存在をある程度認めながら, 牲祭が日本の民衆文化に深く浸透していることを片目の妖怪や怪物の話に注目することによって明らかにしようとした。本稿は柳田が論議した牲祭を検討し,中山太郎の示した資料に基づいて日本の牲祭の特質を明かにするための視座を考察した。論考をすすめるうえで規準としたものはユベール,モースが与えた供犠のメカニズムであるが, 日本の牲祭が基本的にへブライやインドおよびアフリカのヌアー族の供犠儀礼のような神との契約という側面を持たない儀礼であることが理解された。日本の牲祭が生贄の「寄進」, 「奉納」を主なものとしていること, 生贄動物が寺院の神域にいる動物や魚, 鳥類という野生種が中心をなしているということが特徴としてして指摘できた。このような牲の特質とともに牲祭の頭屋の機能の検討を行った。その結果頭屋の機能には供犠司祭者,神,司祭という3つの機能を同時に会わせ持つことがありうるということが見てとれた。したがって頭屋祭祀の検討は今後検討すべき課題として残った。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ