ウィットワータースラント金鉱業とアメリカ人鉱業技師 : 南ア戦争勃発まで

書誌事項

タイトル別名
  • ウィットワータースラント キンコウギョウ ト アメリカジン コウギョウ ギシ : ナンア センソウ ボッパツ マデ
  • ウィットワータースラント キンコウギョウ ト アメリカジン コウギョウギシ : ミナミア センソウ ボッパツ マデ
  • The Witwatersrand Gold Mining Industry and American Mining Engineers before the Outbreak of the South African War

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抄録

1886年に金鉱石が発見されたトランスヴァールのラント金鉱業は,1889年の鉱石の硫化鉱石への移行を乗り越えて着実に成長した。ラント金鉱業は,イギリスとヨーロッパ大陸の資本によって開発されたにもかかわらず,鉱山の開発を技術的に指導,牽引したのは,アメリカ人鉱業技師であった。それは,ラント鉱地の地質的特徴とアメリカ鉱業の先進性によるものであった。アメリカ人鉱業技師がラントに登場する主要ルートには,エックシュタイン商会の顧問技師,ヘネン・ジェニングズを経るコースとConsolidated Gold Fields of South Africa 社の顧問技師,ジョン・ヘイズ・ハモンドに連なるコースがあった。彼ら鉱業技師は,大学で正規の鉱業工学を学んだものも学ばなかったものもいたが,いずれもアメリカの大鉱業会社で深層石英鉱脈の開発に従事していた。彼らは,ラント金鉱業の職種構造の中で最高位の地位をしめた。

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