盤珪禅における不生の仏心について

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タイトル別名
  • バンケイゼン ニ オケル フショウ ノ ブッシン ニ ツイテ
  • TheStudy of Bankei's Zen in the Buddha-mind of Fusho
  • バンケイ ゼン ニ オケル フショウ ノ ホトケゴコロ ニ ツイテ

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抄録

盤珪(一六二二~一六九三)禅の思想を一言で云えば,「不生」の二文字に集約される。この不生とは人間に生得的本具的なものであり,外に求めていって得られるという性格のものではない。万人が本来的に「不生の仏心」ですべてが調っている,という悟道的見地認識にその特色が窺える。「不生」という文字は,仏教においてはとり分け改まった珍しい言葉ではない。盤珪は悟りの自覚を「不生」というコトバで表現したにすぎない。ただ問題点は,盤珪の説く「不生」禅は自己自身がはじめて説き出し独創的に開示したものだと自信を持って公言する処にあり,また日本禅の法脈(臨済系)からその系譜を完全に外れ,明らかに独立している立場が窺い知られるところにある。盤珪は,「不生」を中心に据え,様々な角度から視点をあて,いろいろな言葉を交えて民衆一般に布教した。しかも,従来のように漢語,仏語祖語は極力さけ,また禅籍における古今の古則公案の語句,話頭の詮議詮索などは敢えてしなかった。一般庶民が使う日常語で事足れりとし,平易平明な言葉で済むことは,何でも分かり易くして語り句調で説法した。したがって,盤珪が修行を特別に勧め奨励しなかった点を考え合わせても,聞法聞信による説法に主眼があった。要するに,盤珪の禅思想とは「不生の仏心」を自覚することであり,迷わぬ仏心体を各人各自が目ざめることにあった。そして広く民衆に分け入り,全国を遊説しその真意を解き明かした生涯であったと概要できる。

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