Philosophical Analysis on Contingency

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抄録

本研究では、偶然性を哲学の問題として取り上げることにする。なぜなら偶然そのものは、哲学以外の学問には対象として取り扱えないという根源的性格を持っているからである。偶然性とは必然性の否定であり、たまたま有るという意味である。それは、無いことがありうる存在を意味する。それゆえ偶然性を問題とするということは、存在を超えて無いことを問うことを意味する。偶然性とは有と無との接触面、有が無に根ざしている状態、無が有を侵しているときに成立する存在であり、この、無に向かって存在を問うということによって、偶然性の問題は厳密に形而上学の問題と言われるべきなのである。ここで、偶然性が必然性に対立した意味を持っことから、必然性の三様態の分類に応じて、偶然性もまた三つの様態に区別する。(一)定言的偶然、(二)仮説的偶然、(三)離接的偶然の三つである。それぞれの分析を「論理的」(logical)な観点、「経験的」(empirical)な観点、「形而上学的」(metaphysical)な観点に対応すると考えられる。定言的偶然とは論理学上の概念的見地に基づいて考えられる偶然である。基本的に定言的偶然は概念に対しての偶然的徴表をいうのである。仮説的偶然は定言的偶然の存在に対する疑問から出発する。定言的偶然の存在に対する疑問は、個々の事実および個物の存在に対する疑問を意味する。個物の存在に対する疑問とは、なぜに一般概念の類や種のほかに個物が存在するかを問うことである。個物の存在については、一般概念の論理を考えるだけでは不十分である。ここでは、存在理由を考えなければならないのである。従って、我々の問題は概念性から理由性の問題へ移るのである。離接的偶然は全体と部分との関係に関して理解できる。まず全体とは、絶対的な同一性を持つものであり、必然的である。それに反して、部分は部分の性格として絶対的な自己同一性を欠いている。部分の存在は他の部分を予想し、自らの中に、この部分でもあの部分でもあり得るという性格を持っている。そうして、各々の部分は相互に離接的関係を持って存在するものである。

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