岩殿・重観山と住観房について

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  • ガンデン ・ ジュウカンサン ト ジュウカン ボウ ニ ツイテ
  • A Mound JUKAN

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抄録

東松山市大字岩殿にある小字重観山(大東文化大学キャンパスの北側)の名称が、戦国末期に活動した住観房に由来することを明らかにした。住観房は、1563年後北条氏の松山城攻撃に関連して焼打された岩殿山の復興活動や、1590年秀吉の小田原征伐の際松山城にたてこもった二千の兵の降参のための仲介をしたことで知られ、地域社会の崇敬を集めた人物であった。かつて、ここに彼を祀る「住観塚」がおかれていたことに因んで「重観山」の小字名が残されることになったものと、推定した。

収録刊行物

  • 人文科学

    人文科学 20 1-12, 2015-03-31

    東京 : 大東文化大学人文科学研究所

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