日中関係における天皇訪中問題 : 天皇訪中前夜に至る中国の動向を中心に

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タイトル別名
  • The Issue of Japanese Emperor's Visit to China in Sino-Japanese Relations : Focus on the analysis of the Chinese movement before the previous night of the visit
  • ニッチュウ カンケイ ニ オケル テンノウ ホウチュウ モンダイ : テンノウ ホウチュウ ゼンヤ ニ イタル チュウゴク ノ ドウコウ オ チュウシン ニ

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抄録

本稿の目的は,天皇訪中問題をめぐる日中関係について,中国の動向を中心に分析し,同問題が日中関係の変化とどのように関連していたかを明らかにすることにある。 1978年の鄧小平訪日の際の天皇への訪中招請をきっかけとして,天皇訪中問題は日中外交の舞台に登場した。その後,十四年間にわたり,度重なる交渉を経て,1992年に天皇訪中がようやく実現した。 戦後の日中関係の重要な問題の一つが,かつての戦争を中心とする歴史問題である。天皇訪中問題は,この歴史問題と結びついた象徴的な問題であった。また,訪中実現に至るまで,天皇訪中をめぐる日中双方の戦略的利益と結びついた調整のプロセスでもあった。さらに,同問題も日中間の長年の懸案であり,国交正常化以降の日中関係の変化の内実を知る上でも重要な案件であった。 これらのことに注目して,本稿では天皇訪中問題を日中間の他の外交的課題(歴史問題やODA問題など)との関連,中国国内の政治との関連に着目し,同問題の歴史的な経緯を明らかにする。具体的には,以下の三つの時期に沿って分析を行う。 第1の時期は,70年代から80年代後半までで,昭和天皇の海外訪問,中国による天皇訪中招請の打診,そして皇太子の訪中計画を中心に分析する。第2の時期は,1989年1月の昭和天皇の死去から4月の李鵬訪日までで,天皇の代替わりが天皇訪中問題に対して与えた影響を分析する。第3の時期は,天安門事件の勃発から「即位の礼」までで,この二つの出来事が天皇訪中にどういった影響を与えたのかについて分析する。 これらの分析によって,第1に,天皇訪中実現までのプロセス,第2に,天皇訪中における阻害要因とその中での天皇の戦争責任問題がもった意味,そして第3に,天皇訪中を実現に向かわせた転換点を明らかにする。

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