四国・九州・沖縄地方の木地屋とろくろ

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タイトル別名
  • Research on Kijiya Woodworkers and Rokuro Wood Lathes in Shikoku, Kyushu and Okinawa
  • シコク ・ キュウシュウ ・ オキナワ チホウ ノ キジヤ ト ロクロ

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説明

お椀の素材となる白木の椀木地を作ってきた木地屋は歴史的には近世以前に遡る古い職業であり、その彼らが使ってきた道具ろくろも同様に古い歴史を持つ。彼らは日本各地の山中で移住生活を送っていたといわれるが、その実態は必ずしも明らかにはなっていない。また一方で江戸初期以降、滋賀県の永源寺町(現東近江市)の奥地にある神社が全国の木地屋を支配統制し、職の正当性を保証した巻物を配り、寄進を集め、小椋姓を広めたことも彼らの歴史を特色あるものにしている。こうした彼らの技術と移住の歴史を、ろくろという道具に着目して解明することが研究の目的である。今回調査した四国・九州・沖縄は近江の国からは遠く離れた地域で木地屋の歴史は比較的希薄と思われていたが、4点のろくろ資料と郷土史関連の資料から浮かび上がったのはそれぞれの地理的環境に応じた独特の木地製作の文化の姿であり、近江の支配統制が及んでいた地域とその影響の届かなかった地域の違いが浮き彫りになったといえる。すなわち木地屋の技術伝承のあり方の歴史地理学的変容の過程をこれらの地域は示していたのである。 四国では四国山地の両端に位置する石鎚山(愛媛県)と剣山(徳島県)の山麓に古くから木地屋が活動していたが、近世以降使用していた足踏みろくろの構造が大きく異なることから木地屋の系統においても両地域の歴史的な近縁関係は認められなかった。また記録や伝承から徳島の木地屋は紀伊黒江との、愛媛は中国美作とのつながりをうかがうことができた。また九州では、ろくろは宮崎県五ヶ瀬町一カ所でしか確認されなかったが、氏子狩記録や郷土史によれば山口県と愛媛県の二ルートからの木地屋の移住をうかがうことができた。また九州における氏子狩の南限は熊本県南部で、鹿児島県には及んでいなかった。沖縄では、足踏みろくろ一点の調査だったが、むしろこの地域で注目すべきは木地屋の技術の伝承形態にあった。代々木地屋の家系が技術を伝承する近江の国の木地屋文化とは異なり、沖縄では自らの意志で挽物技術を修得したものが木地屋となる。つまり近江の国の統制が及ばない地域では、木地屋の技術は属人的性格を失い、技術自体が自由に流通するものに変容していた。

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