(短報)函館製革所において製作されたセーム皮試作品について

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抄録

この資料はサイト「札幌博物場研究」http://www.fsc.hokudai.ac.jp/mk_hunhm/index.htmlからもダウンロード可能です。

Hokkaido University Natural History Museum(HUNHM)は、開拓使が1877(明治10)年に設置した札幌仮博物場(のち札幌博物場と改称、以下札幌博物場として統一表記)を起源としている。1882年に開拓使が廃止されるまで、札幌博物場は北海道開拓に有益な自然史資料のほか、開拓使による官営工場や関連施設で製作された産業資料も収集していた。それらの資料は開拓使によって内国勧業博覧会などに出品され、北海道開拓の促進、成果を発信する役割を担っていた[関 1990]。開拓使の官営工場で製作されたシカ肉缶詰【39564】(以下【 】で括った数字はHUNHMの現在の資料番号)などがこの時期に収集されたものであり、北海道の歴史について資料を通じて理解する上で現在も重要な役割を果たしている。しかしながら、1884年に札幌博物場が札幌農学校に移管されて以降は、札幌農学校および後身の北海道大学における研究、教育活動に関わる標本・資料の収集と研究利用支援が主な役割となり、特に農学部の動物学教室の教授が館長として活動するようになった20世紀以降は、所蔵資料として産業資料や歴史、絵画資料が果たす役割が低下していった。このため、上記したシカ肉缶詰のような一部の資料を除き、博物館の資料台帳に登録されないまま放置されていたり、登録されているものであっても資料情報や収集の経緯が継承されない形で、単なる動物学研究の資料として管理されてきたものも少なくない。このように博物館資料が有する価値が十分に利用できない状態にあることは、博物館としての大きな課題といえる。  筆者は、HUNHMに所蔵されている全資料に付属するラベルや19世紀から戦前に利用されていた資料台帳、北海道立文書館、北海道大学大学文書館に残されている史料などにより、HUNHMにおけるコレクションヒストリーの解明を目的とした調査を実施し、産業資料だけでなく、動物標本、民族資料など諸分野の標本・資料に伏在する課題の解決を試みてきた[加藤 2004, 2008, 2012a, 2012b, 2012c ; 加藤・市川 2004 ; 加藤ら 2009, 2010, 2012, 2014など]。産業資料についていえば、開拓使時代及び開拓使廃止から札幌農学校移管までの約2年間の農商務省管理下にあった時代の博物場で収集されていた万国博覧会関連資料[加藤 2016]や農商務省博物局との交換資料[加藤 2015]の収集過程を検討し、歴史資料としての価値を向上させてきた。  本稿もHUNHMが抱える課題解決の一環として、哺乳類標本の悉皆調査の中で確認された動物由来の産業資料について、HUNHMに収蔵されるまでの過程を検討し、当該資料の歴史的価値を明らかにすることを目的とするものである。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1050850247207514880
  • NII論文ID
    120006960631
  • HANDLE
    2115/80489
  • 本文言語コード
    ja
  • 資料種別
    journal article
  • データソース種別
    • IRDB
    • CiNii Articles

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