蠟梅詩について

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  • ロウバイシ ニ ツイテ

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抄録

宋代では多くの知識人たちが好んで梅花を詩に詠むようになった事はよく知られているが、時を同じくして少し梅花とは異なる、蝋梅という花も詩に詠じられるようになる。それは梅花のように万人に好まれたものではなく、少数の詩人に注目されただけのささやかな花であった。本論では宋代に入り、蝋梅がいかに注目され、いかに詠じられたかを考える。まず、范成大『梅譜』や宋代の地方志等に資料を求めてみると、蝋梅の特徴が色や香りのよさで、主に南方に咲く花であり、宋代では一般的に知名度の低い花であったことがわかる。その上で、詩の中でいかに蝋梅が詠まれてきたかを調査すると、特に黄庭堅が蝋梅に注目し、彼の蝋梅を詠んだ事をきっかけにして、都開封においてしばしば蝋梅が詠まれていることがわかり、陳師道などは黄庭堅に影響を受けて詩を和している。そうして見ていく中で王直方という人物が浮かんでくる。『王直方詩話』によれば、黄庭堅が蝋梅を詠じた当初、それを好まない者もいた。しかし王直方は早々に蝋梅を評価し、黄庭堅の詩に唱和する事によって、蝋梅詩の発展に大きな役割を果たしている。王直方の伝記を見ると、彼は都に庭園を持ち、そこに多くの文人を集め、一種のサロンを提供したその中心人物であったことが知られる。そこから考えるに彼の影響力は意外に大きいものでった。晁補之、晁沖之といった彼の周囲に集まる詩人が、その関わりの中で蝋梅を詠じていた事もその証左である。このように、蝋梅が詩人の問で賞美されるようになったのは、北宋中期以後、黄庭堅から始まる。その過程で王直方が蝋梅詩を評価した事が、その後の蝋梅詩の発展に大きく影響した。又一つ興味深い点は、資料を検討していく中で、蝋梅を詠じる詩人は江西詩派の詩人たちが多く、蝋梅と江西詩派とは何らかの関係があるように思われる。

宋代

蝋梅

黄庭堅

王直方

江西詩派

identifier:DO003000006362

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