牡丹社事件を契機とする日本人の台湾認識の変化

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タイトル別名
  • ボタンシャ ジケン オ ケイキ ト スル ニホンジン ノ タイワン ニンシキ ノ ヘンカ
  • Change of the Japanese Understanding of Taiwan-Mu-dan Incident as a Turning Point

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説明

1871年に宮古島の住民66名が台湾に漂着,54名が原住民に殺害されるという事件が起こった。同事件は当初,さして重要視されなかったが,アメリカ合衆国総領事ルジャンドルの提唱もあり,結果的に日本が1874年,台湾出兵を決行する事件へと発展した。それまで近世より変わらぬ台湾認識を有していた日本は,これら一連の事件を通じて様々な台湾情報が伝えられた結果,近世より継承された台湾認識と,新たに加えられた台湾認識を合わせた,近世とは違う,新たな台湾認識を有するに至ったのである。そこで,本稿では牡丹社事件及び台湾出兵に関して記された資料を検討した上で,近世より続く日本人の台湾認識が,牡丹社事件及び台湾出兵を経てどのように変化したかについて論じる。

収録刊行物

  • 史泉

    史泉 114 A15-A29, 2011-07-31

    関西大学史学・地理学会

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