一六〇〇年前後、ローマにおけるトスカーナ人画家たちの活動 -サン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂を中心に-

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千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書 第279集 『歴史=表象の現在』上村 清雄 編

"The Presence of History as Representation", Chiba University Graduate School of Humanities and Social Sciences Research Project Reports No.279

十六世紀後半のフィレンツェで後期マニエリスムの画家たちがいまだ活動を続けるなか、トレント公会議後の芸術的要請に応えた最初期の画家サンティ・ディ・ティート(一五三六-一六〇三年)が一五五八年から一五六四年までローマに滞在したことを皮切りに、彼の弟子を含む数多くのトスカーナ人芸術家が対抗宗教改革の機運に包まれたローマに滞在し、道鏡の画家たちとコロニーを形成しながら、主にフィレンツェ出身の有力者や聖職者たちの芸術委嘱に応えた。そして母国フィレンツェに帰還すると、大規模な装飾計画--カジーノ・メディチェオ、カーザ・ブォナッローティ、ポッジョ・インペリアーレ離宮の装飾等--の中心人物となり、十七世紀フィレンツェの新しい芸術潮流の担い手となっていく。したがって、一六〇〇年前後にローマに滞在したトスカーナ人画家たちが行なった具体的な制作活動およびローマの文化的環境から彼らが受けた影響を把握することは、十七世紀フィレンツェ美術を理解する上で不可避であり、更には彼らがローマの芸術界に与えた影響について考察する一助ともなるだろう。この問題を取り組む手掛かりとして、本稿ではフィレンツェ人の郷土教会であるローマのサン・ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ聖堂を取り上げる。同聖堂の諸礼拝堂には、十六世紀末にフィレンツェ出身の有力者たちから委嘱を受けたトスカーナ人画家たちが装飾を施した。以下では、礼拝堂装飾に関与した画家たちの活動を概観し、それぞれの画歴のなかに礼拝堂装飾を位置づけ、更に彼らを積極的に擁護したパトロンたちとの交流が彼らの活動に与えた影響を検討したい。

本研究は、平成二五年度科学研究費補助金(特別研究員奨励賞)「トスカーナ大公妃マリア・マッダレーナ・ダウストリアの居室装飾の分析」(課題番号25002259、研究者代表・太田智子)による研究成果の一部である。

source:歴史=表象の現在(2013年度)

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