「晩秋」論 : 志賀直哉〈山科もの〉概念の解体と「材料」の問題について

書誌事項

タイトル別名
  • 「 バンシュウ 」 ロン : シガ ナオヤ 〈 ヤマシナ モノ 〉 ガイネン ノ カイタイ ト 「 ザイリョウ 」 ノ モンダイ ニ ツイテ
  • A study of "The End of Autumn (Banshu)" : Thinking on a problem of "the source (Zairyō)" and dismantling the works called "Yamashinamono" in Naoya SHIGA

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抄録

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[要旨]志賀直哉の「瑣事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」は、「続創作余談」で「此一連の材料」とされるのに応じて、志賀直哉自身の経験を描いた一連の作品群〈山科もの〉として捉えられることが多いものの、発表当時、四作全てを一連に読む向きはあまり強くない。〈山科もの〉という概念は、志賀直哉自身の京都・奈良在住時の伝記的事実を知るための「材料」として各作を読む方法といえ、それは志賀直哉の伝記、及びその後発表された「邦子」を頂点とする〈作品〉の上下関係を構築する。しかし「晩秋」をみると、先行作「瑣事」の説明や、中心人物「彼」の自己本位な部分の語られ方から、「小説」の〈創作者〉である「彼」の内にある「小説」〈作品〉とその「材料」の違いを読み取れる。その違いが周囲の人物に理解されず空転する現象を映した「小説」こそ、「晩秋」だと考えることができる。

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