The establishment of the Japanese trade association in Peru before World War II

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  • 第二次世界大戦前のペルーにおける日本人同業者組合の設立
  • ダイニジ セカイ タイセン マエ ノ ペルー ニ オケル ニホンジン ドウギョウシャ クミアイ ノ セツリツ

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1899年(明治32)に最初の日本移民がペルーヘ送出された。この後、1906年(明治39) から開始された沖縄県からのペルーヘの移民は、第二次世界大戦前のペルー日本人社会の中で、多数を占める存在となった。砂漠や山地などで、生活空間が限定される環境で、職を求める日本移民は、リマ市やカイヤオ市(カヤオ)などの都市へ流入するにいたった。多くは自ら起業するか、雇員として商業活動に従事した。1907年(明治40) には、里馬日本人理髪業同業組合が設立されて以降、相次ぎ日本人同業者組合が設立された。これら同業者組合はペルーの「諸官憲との交渉等」をなし、言葉も不自由な日本移民の権益の保全に寄与したようである。一方、同業者組合の中には同郷者集団と重層する一面を持つものもあった。たとえば創立委員や歴代組合長の構成から、秘露日本人商業組合は、山梨県出身者を核として形成されていることがわかる。このほか、沖縄県出身移民が大多数を占めるカイヤオ市では、カイヤオ日本人中央商業組合とカイヤオ市日本人商業組合の二つの同業組合が存在し、いずれの組合も役員はすべて沖縄県出身移民で構成されている。二つの組合は、既存の同業組合が再編成されて設立されたものと推察される。これら組合の役員の出身地を分析すると、一方が、豊見城村や久米島の出身者を主体に構成され、他方が那覇や名護・大宜味を主体に構成されていることがわかる。このようにカイヤオ市における商業組合は、町村レベルでの同郷者集団との重層がみられることが明らかとなった。

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