戦前農村部における託児所の奨励と普及活動 : 山中六彦『保育事業と農繁託児所』の検討を通して

書誌事項

タイトル別名
  • Dissemination and Enlightenment Activities of Daycare Centers in Prewar Rural Areas : Through the Examination of Childcare Business and Agricultural Nursery Center by Rokuhiko Yamanaka
  • センゼン ノウソンブ ニオケル タクジショ ノ ショウレイ ト フキュウ カツドウ : ヤマナカ ロクヒコ 『ホイク ジギョウ ト ノウハン タクジショ』 ノ ケントウ オ トオシテ

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抄録

本稿は、大正末期から昭和初期における山口県内の農繁期託児所の奨励と普及活動の実際について明らかにすることを目的として、山口県社会事業協会発行のパンフレット及び山中六彦の著書や業績等を検討した。結果として、山口県は、他県に先駆けてパンフレットによる農繁期託児所の普及活動を開始した県であり、すでに1920年代より山口県社会課及び山口県社会事業協会から農村社会事業を含めた農繁期託児所に関する奨励がなされていたこと、普及の手立てとして『山口県社会時報』『社会業書』などの印刷物を発行、「山口県社会事業大会」の継続開催が社会事業普及の方策とされていたことが分かった。また、教育者として、そして社会事業家として活躍していた山中六彦の代表作『保育事業と農繁託児所』を検討した結果、山中は、農繁期託児所事業の提唱を試み、「児童保護の最低標準」として農繁期の子どもをいかに救済すべきか考えていたこと、更に、幼稚園長や小学校校長を経て田部高等女学校校長職に就いていたことから高等女学校において小学校教員や女生徒と共に農繁期託児所を継続的に実施・運営、この実践をモデルとして保育論を説き、著述や県内各地への講習会、さらには他県へ出向きその普及に邁進していた。以上のことにより、山口県内では早期より着実に農繁期託児所が増加し、毎年継続して保育が実施されるようになったことが明らかとなった。

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