児童福祉法の成立過程における保育所規定をめぐる思想的系譜の一考察 ー松崎芳伸と平野恒子の見解相違における思想的背景をめぐってー

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  • Ideological Genealogy of the Definition for Day Nursery in Establishing the Child Welfare Act: Differences between Hoshin Matsuzaki and Tsuneko Hirano

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抄録

本研究は、被占領期の児童福祉法(以下、法)の立案時に、保育所を保護者の負担を軽減する施設と規定した松崎芳伸の立案(以下、主張)と、保護者の負担軽減よりも親子の福祉実現を主とした施設と規定すべきであるとした平野恒子の主張の思想的背景とその系譜を検討した。平野の主張によって、保育所規定から保護者の負担軽減の字句が削除されすべての児童を対象とする保育所となり、保護者の負担を軽減するという松崎の主張は、労働等によって保育に欠ける児童を市町村長が入所措置する規定となって法が成立したことにかかわる,両者の主張の思想的系譜を明らかにした。  その結果、松崎の主張は、戦後の経済再建のための社会保障制度の確立を前提として社会連帯責任を法の理念とし、生産的社会政策理論を援用し経済循環の中に保育所を位置づけ、労働力再生産に便益をもたらし、労働婦人を解放するという考え方に基づくものであることが明らかになった。他方、平野の主張は、戦前から保育施設の運営に携わる中で、母子保護法制定運動に参画し母子寮を開設し、平等の思想に基づいた保育施設と母子寮の一体的な運営によるものであることが明らかになった。  松崎と平野の主張が措置規定と保育所規定に棲み分けられたことについて考察したところ、両者に代表される人々が、連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)との信頼関係を形成する中で、民主化政策に適合した主張をしていたことが示唆された.

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