国家の理不尽な暴力と闘えなければ,「平和」を学んだといえない : 日本における新しい「市民社会型平和教育」の提案

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タイトル別名
  • Learning “Peace Studies” Means Fighting against Unreasonable State Violence in Japan : A Proposal of a New Civil-society-type Peace Education to Japanese
  • コッカ ノ リフジン ナ ボウリョク ト タタカエナケレバ,「 ヘイワ 」 オ マナンダ ト イエナイ : ニホン ニ オケル アタラシイ 「 シミン シャカイガタ ヘイワ キョウイク 」 ノ テイアン

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抄録

日本における平和教育は岐路に立たされている。戦争体験世代の減少に伴い,第二次世界大戦で経験した,戦争の悲しさ,苦しさを若い世代に伝えることが難しくなってきた。これに,教職員組合への圧力と学校の管理強化,また国際的な平和概念の多義化が加わり,平和教育はさらに厳しい環境に追い込まれている。別の面から考えれば,「伝統的平和教育」と呼ばれるものは,大戦末期や終戦直後の被害体験の伝承,戦死者への慰霊を中心に「戦争をしてはならない」ことを誓う教育であった。これに対し,戦争における加害や加担を教える「多面的平和教育」,平和の対概念を暴力とし,人権,環境,開発教育にもつながる暴力の構造を伝えようとする「包括的平和教育」なども行われた。しかし,いずれも十分成功に至っていない。その点,本稿は,「市民社会型平和教育」という新しい平和教育の枠組みを提示する。その特徴は,平和の対概念を「理不尽な国家暴力」とし,その視点からの戦争の教訓を軸に平和を考える。また論理的かつグローバルな視点から,第一次世界大戦を起点に平和の意義を理解し,現象の分析の裏に,深い洞察力を要求する。また,「理不尽な国家暴力」に立ち向かうためには,基本的な政治教育や市民教育を平和教育の不可欠な一部にすることを提案する。

収録刊行物

  • 法学新報

    法学新報 128 (7-8), 39-65, 2022-02-28

    法学新報編集委員会

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